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徒然なる愛国心

日本という国を愛して 日本人として誇りを持ち 日本の文化や歴史、国民性や宗教観など様々 徒然と記して参ります。

映画「永遠の0」 レビューと所感

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映画「永遠の0」 レビューと所感

映画「永遠の0」は、第二次世界大戦末期の零戦搭乗員を主人公とした戦争ドラマ映画です。

百田尚樹氏のベストセラー小説を映画化。2013年12月21日の公開から全国430スクリーンで公開され、初日2日間の観客動員数は約42万9000人を記録、興行成績8週連続1位を記録した大ヒット映画作品です。多くの映画館での上映期間も長かったため、観たことがない方でもタイトルは聞いたことがあるかと思います。



ストーリー
祖父・賢一郎と同じ弁護士の道を目指している26歳の佐伯健太郎は、4年連続で司法試験に落ち意気消沈しながら日々を過ごしていた。亡くなった祖母・松乃の四十九日も過ぎたある日、出版社に勤めている姉・慶子と健太郎は、賢一郎から「自分は本当の祖父ではない」と知らされる。
そして本当の祖父は、終戦間際に特攻で戦死を遂げた日本海軍航空兵の”宮部久蔵”だと知る。

姉・慶子は仕事で戦争について携わる機会を得て、また突然告げられた事実に困惑する母・清子に真実を伝えたいと思いもあり、健太郎を誘い、謎に包まれた実の祖父”宮部久蔵”について調査を始める。

生前の”宮部久蔵”を知る者たちの元を訪れた際に「何よりも命を惜しむ人物だった」など蔑みの言葉をぶつけられるが、調査を進めていくにつれて「凄腕の零戦パイロット」だったことを知る。
優れた操縦技術を持つ天才的な零戦パイロットでありながら、つねに生還することにこだわり「海軍一の臆病者」と呼ばれた”宮部久蔵”について、次第に謎が深まっていく。
そして自分と同じ26歳で特攻し散っていった実の祖父の真実を知るごとに、健太郎の心境にも変化が現れる。
生きることに強くこだわった天才パイロットは、なぜ特攻の道に進んだのか。
そこには壮絶な生き様と隠された真実、そして儚くも美しい愛情の物語があった。



※ここから先は若干ネタバレが含まれます



原作未読のまま、観たいと思いながらも仕事に忙殺され、気付けば公開から4ヶ月近く。
近場の映画館では一日の上映回数は1回、しかも上映開始後も観客席には私を含めて6人程度でしたが、ギリギリ公開中に観ることが叶いました。
映画を鑑賞してから更に1ヶ月近く経過していますが、この映画を観た感想などを記したいと思います。


まず冒頭の零式艦上爆撃機(以下、零戦)の飛行シーンで思わず涙腺が緩みました。
零戦や隼、一式陸攻など戦時中の飛行機が飛ぶ映像では、脊髄反射の如く涙腺が緩んでしまいます。
そして空母赤城の再現を初めとするVFXの完成度の高さに、終始スクリーンに釘付けになりました。

ストーリーとしては原作未読ながらも、時系列や登場人物の役割が理解できる構成だったと思います。しかし過去と現代の入れ替わりが多く、そのたびに”夢から醒めた”ような、流れが度々切れてしまう感覚になりました。

当時の戦時下において生きることに執着する宮部久蔵の考えは、その時代の流れに逆らっているようで、実は同じ考えを持つ人たちも大勢いたのではないだろうかと思います。
祖国や家族、仲間たちを守るために、自らの命を捧げることによって礎となる信念がある一方で、逆に生き抜くことで守っていくという信念を持つことに、何ら違和感を抱きません。
おそらく当時の状況を鑑みるに「死ぬことの恐怖」と同様に「生き抜くことの恐怖」もあったはずです。
それゆえ祖国や家族、仲間たちを守りたいという”利他の精神”に基づいた信念は、たとえ死を選ぼうとも生を選ぼうとも大変素晴らしいものです。

冒頭の零戦の飛行シーンの他にも幾度となく涙腺が緩んだのですが、物語後半でヤクザの親分の景浦が「この人を何としても守る」と力強く放った台詞に、思わず涙が零れ落ちました。また「その刀は人の血を吸ってるぞ」という台詞が、戦後間もない時に松乃を救った際の刀なのだと結びついた時、胸に熱いものが込み上げてきました。

ただ1点、ストーリーに残念と思う部分もありました。
物語後半、戦後に宮部久蔵の妻・松乃と賢一郎が結ばれる話には、正直申しまして興冷めしてしまいました。
そこはたとえ戦死したとしても亡き夫を想い続け、力強く子を育ててゆく妻であって欲しかったと思います。また尊敬していた亡き上官の妻に恋心を抱き、想いを告白する賢一郎の姿には若干の背徳感を抱きます。
そして生前に「たとえ死んでも、それでも僕は戻ってくる」と言い残した夫の言葉を、松乃が「あの人は賢一郎として姿を変えて帰ってきた」と思うのは、あまりにも虫が良すぎる話ではないかと感じます。
宮部久蔵の言い残した言葉は「たとえ死んでも、この身が滅んで魂だけになっても、必ず貴女のもとに戻りますよ」という、言わば「靖国で会いましょう」と同様の意味だろうと(勝手に)解釈していただけに、あの展開には拍子抜けしました。
宮部久蔵が不調な零戦を見抜いて賢一郎と機体を交換するまでは良いのですが、そもそも宮部久蔵は賢一郎に妻と子供を託すことを、どの時点で決意していたのでしょうか。
賢一郎も同じ特攻組でしたし、通常は出撃前に整備員がきちんと整備するはずです。だとしたら機体が不調だと気付いたのは搭乗してからなので、機体の不調は偶然の出来事になります。
もし宮部久蔵の搭乗した機体が不調でなければ、賢一郎は宮部久蔵ともども特攻する運命だったはずです。

ともあれ映画というエンターテイメントの物語なので野暮なことは言わず、多少の脚色には目を瞑る方が良いのかもしれません。しかし同じ脚色ならば「亡き夫を想い続ける妻と、それを陰ながら支え続ける戦友たち」といった美談の方が「大和撫子と日本男児の姿」のようで、私は感動を覚えます。
私自身が原作未読ですので、もしかしたら原作を読めば理解できるのかもしれませんが・・・。
何はともあれ、私の理想を作品に押し付けるのはお門違いですね(笑。

映画「永遠の0」のBlu-rayとDVDが2014年7月23日に発売されるようですので、もう一度観たい気持ちを抑えつつ楽しみに待ちたいと思います。

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